「定めなく鳥やゆくらむ青山の青のさびしさ限りなければ」
安養寺所蔵 竹久夢二 短歌軸
(約190cm×30cm 東美鑑定評価機構鑑定委員会にて鑑定済み)
大正ロマンを代表する画家であり「夢二式美人」と呼ばれる数多くの美人画を残した竹久夢二が安養寺を訪れたのは、大正7年陰暦の盆の中日のことでした。
その年、長崎を訪れていた竹久夢二が、お盆を迎えるにあたり、わざわざ長崎から遠く離れた島原の安養寺へと足を運んだ理由については明かではありません。夢二の日記にも記されていませんし、安養寺の記録にも残されていません。
当時の長崎では数少なかった女流歌人・菊池秋子より、島原のお盆の風物詩である切子灯籠と、その切子灯籠を飾り付けた精霊船を海へと流す精霊流しの話を聞き、その光景を見るために秋子の実家である安養寺を訪れたのかもしれません。
(長崎の永見徳太郎邸にて斎藤茂吉と竹久夢二が納まった記念写真が残されています。斎藤茂吉と安養寺の娘である菊池秋子は旧知の間柄でしたし、後に夫となる松本松五郎や親戚の三浦達雄も同じ写真に納まっていますので、夢二が島原のお盆の話を聞く機会もあったのではないかと思われます。)
竹久夢二の「精霊流し」(『雑草』に収録)に、
私は、安養寺の書院から、名は忘れたがこの土地の味の素朴な饅頭を食べながら、屋敷町の娘達の古風な上布を透けてほの見ゆる、紫水晶の珠數などを、異國人の心持で眺めやるのであつた。
香の煙と鐘の音の立ち迷ふ中に、繪のやうな由緒ある扮裝をあかず眺めた。
著 者 竹久夢二
底 本 雑草
発行所 時代社
発行日 昭和16年1月31日
とあるように、安養寺の庫裡にて島原のお盆の光景をのんびり眺めながら過ごしていた時間に、書画を嗜んでいた当時の住職の道具を借用し、この「定めなく鳥やゆくらむ青山の青のさびしさ限りなければ」の短歌を揮毫したと伝えられています。
なお、「さだめなく鳥やゆくらむ・・・」の短歌は安養寺にて詠んだのではなく、長崎に来る以前に詠まれていた短歌で、大正2年に発行された夢二の詩画集『昼夜帯』にもすで収録されています。また、この『昼夜帯』では「青山」に「あをやま」とルビが振られています。
書には「夢二」の落款と「一艸人」の朱文円印があります。
竹久夢二本人が安養寺を訪れ、書き残していった書ではありますが、念のために真贋の確認を東美鑑定評価機構鑑定委員会に依頼したところ、竹久夢二の真筆であるとの鑑定を受け鑑定証書が発行されました。
なお、竹久夢二が島原で目にしたお盆の光景は、上記の「精霊流し」の他にも『令女界』第7巻第8号(昭和3年8月号)に掲載の「青夜曲」という作品などにも残されています。
青 夜 曲
日本地図を出して御覧なさい。九州の西の果ての温泉嶽の山陰に島原といふ城下があります。港と言っても街と言ってもふさはしくないやはり小さな荒廃した城下といふ感じです。
庭石に濡れて散る灯や星祭
それは陰暦の盆の中日です。私は安養寺の茶室で和尚の手前で緑茶を庭の黒もじの青葉といっしょに吸ってゐました。昼とも夜とも燈籠の光は青い。紋付の帷子をきた上品の夫人、黄色い上布をきた娘達、墓参はすべて婦人に限られてゐる。この夜街では、あらゆる墓から軒から燈籠をはづして、西方浄土の帆をあげた茣蓙船へつむ。そして、船は水の上をゆらりゆらりと沖へ沖へと流れてゆく。九十九島が船のあかりで手ずれた普門品の紺紙に浮いた金泥のやうに、遂にはただ一点の燈がゆらりゆらりと、無数に西方へ流れる。それは生き人の心であり、又年に一度生れた家へ帰ってくる御仏の霊魂が再び西方浄土へ帰ってゆく夜の旅でもある。それはもはや燈籠の火ではない、一つの心である。漂ひながら西へ帰る心の形である。色なき形なき毘盧遮那さへ、曼陀羅には金泥でおぼろに画かれる。
岸の人々は数珠をつまぐりながら、はるかに消えてゆく魂を送りながら、心々に合掌してめいふくを祈る。南無阿弥陀仏。
著 者 竹久夢二
底 本 令女界 第七巻第八号
発行所 株式会社寶文館
発行日 昭和3年8月1日
【 追記 】
お問い合わせがありましたので追記いたします。
書籍によっては「青夜曲」を『令女界』第7巻第9号(昭和3年9月号)掲載と記述されているとお尋ねを頂きましたが、これは誤りです。
おそらくは、ワグナー出版発行の『夢二』に、昭和3年9月号と誤った記述がされているものを、そのまま引用されている書籍の誤りかと思われます。
当方では『令女界』昭和3年8月号及び9月号を所有しており、「青夜曲」の底本が8月号であることについて確認がとれております。
(上の画像が8月号の表紙及び掲載された「青夜曲」とその挿絵)
【 余談 】
竹久夢二の代表作である「長崎十二景 燈籠流し」には海に浮かぶ精霊船が描かれていますが、お盆に島原で精霊流しを見物していたことから考えると、「長崎十二景 燈籠流し」は、長崎の風景に島原で見た精霊流しの精霊船を描き込んだ作品なのかもしれません。
また、竹久夢二は島原の精霊船に飾る切子灯籠を大変気に入ったようで、お土産として京都へ持ち帰ったことが日記の中に記されています。